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東大合格請負人時田啓光による、志望校に合格するための勉強法
2019-11-20

2019年東大の世界史[2]解いてみた 解説

2019年 東京大学の 世界史[2]の解説です。

問(1)

19世紀半ば以降、南アジアではイギリスによる本格的な植民地支配が進展した。英領インドを支配する植民地当局は1905年にベンガル分割令を制定したが、この法令は、ベンガル州をどのように分割し、いかなる結果を生じさせることを意図して制定されたのかを90字以内で説明しなさい。

世界史を学ぶ上で重要なのは、

過去:「なぜ起きたか、どういう背景があったか」

現在:「どういう内容か」

未来:「どういう目的か、結果どうなったか」

という風に、3点セットで考えるクセをつけることです。

今回は、「ベンガル分割令」という法律です。

では、情報を整理していきましょう。

その名の通り、ベンガル州、ベンガル地方の分割。

ベンガル地方といえば、インドの東部にあり、

ガンジス川下流域の肥沃な地域です。

この地方は、かつてムガル帝国の一州で、

ベンガル太守が支配していて、

土地生産力が高かったので、

クライヴ指揮するイギリスの東インド会社が

フランス東インド会社の支援を受けたベンガル太守と戦った。

これが1757年のプラッシーの戦い。

結果は、イギリス側の勝利。

クライヴをベンガル知事に任命し、

その後、ザミンダーリー制という

徴税制度を実施して支配した。

これにより、東インド会社は、ただの貿易会社ではなく

土地と人民を統治する機関になった。

さらに時が進み、ベンガル知事に代わって

ベンガル総督をカルカッタにおいた。

時代が進む毎に、イギリスの支配色は濃くなっていく。

産業革命が勃興したイギリスは、

1833年に、東インド会社の商業活動停止を決め、

(特権的な貿易業務を止め、徴税業務を行う機関になった)

完全にインド全体を植民地統治すべく、

ベンガル総督の代わりにインド総督を置いた。

そんなイギリスの横暴が続いた中で、

1857年、

東インド会社のシパーヒー(インド人傭兵)が反乱をおこした。

反乱軍は、ムガル帝国の皇帝バハードゥル=シャー2世を擁立し、

民衆の支持を得ながら、全インドに勢力を拡大していった。

しかも、この反乱にはヒンドゥー教徒とムスリムが

両方参加した点は、歴史的に大きなポイントである。

また、この反乱を指揮したのは、

「インドのジャンヌ=ダルク」と呼ばれた、

藩王国の女王ラクシュミー=バーイーであった。

これに対して、イギリ側も本気になる。

当時のインド総督カニングは、軍を増強し反撃をはかった。

また、反乱軍には内部対立が生じ、

ヒンドゥー教徒とムスリムの連携がとれなくなり、

さらに、ムガル帝国皇帝を捕らえ、

帝国は滅亡した。デリーも陥落し、反乱は鎮圧されてしまう。

インド側は、反乱で負けはしたが、

結果的に、インド人達の民族意識を高め、

インドの反英闘争の発端となった。

イギリスは、この一件を逆に利用することを思い立つ。

それは、インド人のヒンドゥー教徒とムスリムの対立を

大きくして、統治しようとした。これが分割統治案である。

1905年、当時のインド総督のカーゾンは、

ベンガル州を

東のムスリムが多数の地域と

西のヒンドゥー教徒が多数の地域

とに分け、

法律を施行し、

反英民族闘争の分断を図った。

これに対して、インドは、

今まで親英派であった国民議会派の中の

ティラク、ラージパット=ラーイなど急進派が台頭し、

カルカッタで開催された大会で、

四綱領を掲げて反英運動を起した。

その四綱領とは、

①英貨排斥・・・主に綿布などイギリス商品を購買しない

②スワデーシ(国産品愛用)・・・国産品の購買促進

③スワラージ(自治)・・・自治獲得を目指す

④民族教育・・・自国の利益に即した民族的な教育実施

イギリスは、パネルジーら穏健派と急進はの分断を図り、

急進派に対してティラクを逮捕し、弾圧を進め、

イスラーム教徒に対しては、

インド総督のミントーが

全インド=ムスリム連盟結成を働きがけて、

ムスリム勢力を引き込んでいった。

さて、背景は一段落しましたから、

今回の問題について考えていきましょう。

今回は、

「どのように分割し」「いかなる結果を生じさせるか」を

問われているいるので、

現在:「ベンガル分割令のやり方」

未来:「ベンガル分割令の狙い」

をまとめて答えよう。

 

模範解答
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反英運動の盛んなベンガル地方を、

東のムスリム多数地域と西のヒンドゥー教徒多数の

地域に分割し、宗教対立によるインドの内部分裂を

引き起こし、イギリス植民地支配を確立しようとした。(87字)

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