2020年東大世界史 第3問(1)(2)解説 (東大合格請負人 時田啓光 合格舎)
こんにちは、東大合格請負人の時田啓光です。
今回は2020年の東京大学[世界史]で出題された
第3問(1)、(2)について説明していきます。
序文に書かれてあったのが、
人間は言語を用いることによってその時代や地域に応じた思想を生み出し、
またその思想は、人間ないし人間集団のあり方を変化させる原動力ともなった。
このことに関連する以下の設問(1)~(10)に答えなさい。
言語の話は、英語でも題材にありました。
「私たちは、言葉を操っているのか、言葉に操られているのか」
今年のホットワードですね、「言葉」
では、早速みていきましょう。
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問(1) 古代ギリシアの都市国家では、前7世紀に入ると、
経済的格差や参政権の不平等といった問題があらわに
なりはじめた。ギリシア七賢人の一人に数えられ、
前6世紀初頭のアテネで貴族と平民の調停者に選ばれ、
さまざまな社会的・政治的改革を断行した思想家の名を
記しなさい。
答えは、ソロンです。
ギリシア七賢人は、色々な説があって確定しているものではないですが、
イオニア地方のミレトス出身の哲学者タレス(タレース)は必ず登場します。
プラトンが挙げた七賢人は、
ソロン、タレス、キロン、ビアス、クレオブロス、ピッタコス、ミュソン
世界史の問題で登場するのは、ソロンとタレスです。
他の人達をさらっと学んでおくと、
キロンは、スパルタのエフォロス(監督官)です。
ビアスは、プリエネの政治家(僭主)。
クレオブロスは、リンドスの詩人であり政治家(僭主)。
ピッタコスは、ミュティレネの政治家(僭主)。
ミュソンは、ケナイの農夫。
話を戻すと、ソロンは、
前7~6世紀にアテネで活躍した人物です。
当時、アテネは貴族政で、小数の権力者が
参政権を持たない平民を支配する構図でした。
また、貨幣文化が広がっていたので貧富の差が大きくなり、
世の中に不満をもつ平民は多くなっていった。
そんな平民の権利を保護、民主政を進めるため、
前621年にドラコンの立法が起こり、
慣習法(なんとなく感覚で善し悪しを決める制度)から
成文化(ルールを文章にして、基準を定めた)に変化させた。
これも重要な出来事ですが、不完全な内容で、
貴族と平民の対立は続いたままだった。
そこで現れたのが、アテネの政治家ソロン
彼がすごいのは、貴族側からも平民側からも支持されたことです。
出世を重ね、ポリスにおける最高権力者アルコン(執政官)に選出されました。
そして、「ソロンの改革」と呼ばれる
貴族と平民の対立を調停する改革が行われました。
その行動姿勢からソロンは「調停者」と呼ばれることになります。
イメージは、より平民の目線にたった改革です。
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問(2) この思想集団は孔子を開祖とする学派を批判し、
人をその身分や血縁に関係なく任用しかつ愛するよう
唱える一方で、指導者に対して絶対的服従を強いる
結束の固い組織でもあった。この集団は秦漢時代以降消え去り、
清代以降その思想が見直された。この思想集団の名を記しなさい。
答えは、墨家です。
墨家は、墨子を開祖とする諸子百家の1つで、
孔子の仁を差別的だと批判し、
兼(ひろ)く全ての人を無差別に愛せと「兼愛」を説きました。
また、戦争は侵略の手段であるので否定する「非攻」も説いていますが、
墨子は、守りの技術、装備の研究は徹底的に行っています。
秩序を守るため、という意味で法律をつくり、
厳格な団体行動をとるため訓練を実施していくうちに、
師の言葉は絶対で、忠実に守らなくてはならないと
狂信的な行動を取らせる宗教団体に発展しました。
しかし、戦国時代から秦の時代、そして漢の時代に進む内に、
思想の中心が、儒家・法家になっていったので衰退しました。
さらに時代が進み、20世紀中頃、
中華人民共和国が成立する際に、
強固な社会主義システムを築く上で墨家の考えが取り入れられました。
合理的で強固なトップダウン(上司の命令は絶対)体勢を築くには、
この墨家の考えは適用しやすかったのでしょう。
続きは、次回